「じろちょう」といえば、幕末から明治にかけて実在した伝説的な親分、「清水次郎朝(しみずのじろちょう)」のことである。
「次郎長」の由来
実は「次郎長」というのは本名ではない。
成り立ち: 本名は山本長五郎(やまもと ちょうごろう)という。
呼び名: 彼は次郎八(じろはち)という家の養子に入った「長五郎」だったため、周囲から「次郎八とこの長五郎」→「次郎長」と略して呼ばれるようになった。
清水次郎長とは
彼は単なる「博徒(ばくち打ち)」ではなく、幕末の動乱期を生き抜き、明治維新後は社会貢献に尽くした「街道のヒーロー」である。
清水二十八人衆: 森の石松(もりの いしまつ)など、個性豊かな子分たちを率いて、東海道の治安を守った。
社会への貢献: 明治になってからは、富士山の裾野の開墾、蒸気船航路の開拓、英語塾の開設など、静岡の近代化に大きく貢献した。
勝海舟との縁: 江戸城無血開城で有名な勝海舟とも親交があり、咸臨丸の乗組員を葬ったエピソードなど、義理人情に厚い話が数多く残っている。
地名と「次郎長」
彼が「清水」の次郎長と呼ばれるのは、もちろん出身地である静岡県清水市(現在の静岡市清水区)から来ている。
東京との繋がり
実は東京の「浅草」や「築地」にも次郎長ゆかりの場所や、彼が支援した施設などのエピソードが残っている。江戸と駿河(静岡)は東海道で繋がっていたため、彼の名声は江戸の町でも非常に高かったのである。
なぜ「じろうちょう」、ではなく、「じろちょう」なのか
「じろうちょう」ではなく「じろちょう」と呼ぶ理由、そこには江戸っ子や当時の庶民の「言葉の短縮(リズム)」が関係している。
結論から言うと、「次郎(じろう)」の「う」が飲み込まれて、江戸・明治期の話し言葉(べらんめえ調に近い発音)で「じろ」と縮まったからである。
「う」を抜くのが粋(いき)だった
江戸時代から明治にかけての話し言葉では、長い音(長音)を短く詰めて発音することがよくあった。
本来は「次郎(Jirou)」+「長五郎(Chogoro)」の略なので「じろうちょう」であるが、リズムを重視して「じろちょう!」と威勢よく呼ぶのが定着した。
例:「さようなら」→「さよなら」、「じろう丸」→「じろ丸」
「じろちょう」のほうが呼びやすい
「次郎(じろう)」の後に「長(ちょう)」が続くと、どちらも「〜う」という音が続くため、非常に発音しにくい(まどろっこしい)という側面もあった。
じろう・ちょう(間延びする)
じろ・ちょう(歯切れが良い)
「清水の次郎長」は、浪曲や講談(物語の語り)で非常に人気があったが、語り部(ストーリーテラー)たちがリズム良く語るために「じろちょう」という発音が磨かれていったという背景もあった。
「じろうちょう」と丁寧に言うよりも、「じろちょう!」と短く呼ぶほうが、江戸時代の親分や任侠の世界では「粋で格好いい」とされたのが最大の理由である。
「じろちょう」の「長」はどこから?
上述の通り、彼の本名「長五郎」の頭文字である。「次郎八(養父)」の「次郎」と「長五郎」の「長」を合体させた、いわば「ハイブリッド・ニックネーム」だったわけである。